事務所開き 水野良彦公式YouTubeチャンネルより

先日はお忙しい中、たくさんの人にお集まりいただき誠にありがとうございます。水野良彦事務所開きにて行われた、本人によるあいさつを掲載します。長文ですが最後までお読みいただけるとうれしいです。

(事務所開き 水野良彦  あいさつ文 全文)
皆様、おはようございます。
お忙しいところお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。先ほど先輩より運を味方にしろ、こういうことがございました。
今日は一つだけ申し上げたいこと。少し長くなりますが、皆さんお忙しいところを恐縮ですけれども、話を聞いていただければと思います。
10月6日、本日です。私にとって人生のターニングポイントになるような日であります。もちろん今日もですが、20年前の10月6日もターニングポイントでした。
20年前の10月6日がどんな天気だったかしっかり覚えています。同じような晴れの日でした。20年たちました。その当時は、スマホなんてありませんでした。リーマンショックもなかった、東日本大震災もなかった。
20年経ちました。世の中は大きく変わりました。20年前の10月6日、なぜ私が天気を覚えているのか。私の子供が来ています。ちょっと来てください。
すみません。大学生で東京におりまして、今日駆けつけさせました。20年前の10月6日、彼が生まれました。帝王切開でした。彼が生まれるまでにうちの嫁さんは不妊治療をずっとやっていました。
5年ほどやりました。ようやく生まれました。この子を育てようと思って20年前決意しました。全てのスポーツ新聞も買いましたし、全ての新聞も買いました。
天気もカメラに収めました。20年経つと社会も変わりましたし、子供もこんなに大きくなりました。この20年で子育ても苦労しましたし、私自身感じることがたくさんございました。
無職になって今18日目。収入はありません。裸一貫頑張っています。プレゼントも渡せません。申し訳ないけど、これからこの挑戦する姿を今日見てもらって、これを誕生日のプレゼントにしたいと思いました。今日、それで新幹線で駆けつけてこいと言いました。
往復の金を出すから。こんな感じで私の家族を育ててまいりました。
一つだけ残念なことがございまして、この5ヶ月前です。5月6日、私の父親が亡くなりました。家族に話をしました。政治の話をしました。
唯一私の父親だけが「長生きせなあかんな」と背中を押してくれました。この事務所開きを見せられなかったのが残念です。私にとっては個人的には半ば弔い合戦です。私の父親に良い報告ができるように頑張ってまいりたいと思っております。家族の支えでこの20年間も進んでまいりました。
50年生きてきたのも父親のおかげです。家族を支えに、この過去20年を振り返って来し方を考え、これから進んでまいりたいと思います。
振り返って20年を言ってもしょうがないです。政治家は将来を見て長期を見て、この先20年責任を取れるのかどう何が起きるのかを想像し、あらかじめ策を打っていく。私にはそれができると自覚しています。自負しています。
この先20年、この国は大きな変化を迎えると思っています。高齢化が激しくなり、今ですら現役世代は高齢者一人に対して一人半で対応していますけども、20年経てば1.3人で高齢者一人を支えなければならない。今の3割は負担が重くなるという時代を迎えます。
これも明らかな数字です。内政はこうです。では外交はどうでしょう。日々、中国領海を侵犯する動きが。ロシアもこの前にございました。
日本を守っていくとおっしゃいましたけれども、本当に守るためには真剣に取り組まねばなりません。また、今日お越しの皆様方の中にもエネルギーに携わる方もいらっしゃいます。
これから先、電気自動車だ、あるいは半導体だ、AIだ、データセンターの電力がどれだけあるのか。皆さん、反原発を使っておられる方も宗旨替えをされています。
原子力をなくしていいなんてことにはならないはずです。「原子力反対です」いうのは簡単。10年経った時に本当に必要ないですか?
私はそれはちゃんと答えるべきだと思います。これは20年後もいろいろございます。商店街だっていろいろな形で社会に貢献できる。
まだまだやることがたくさんあります。私を見ておりまして、経済産業省でありましたけれども、本当の基盤を有しています。そのスーパーじゃありません。
それをどう活用していくのか。ここで私は20年先を見据えながら皆さんと共に歩みたいと思います。物流もそうだと思います。この4月からの働き方改革で大変です。
大変だからこそ、我々と一致団結して自動化に取り組み、自動運転もどんどん活用し、水素も活用していきましょう。
そういうことについて皆さん方と取り組みたいと思います。これらは全て20年先を見据えて進めたいと思っております。
2024年の今、私50です。70になると思います。20年先も恐らくは私が意思を曲げない限りは、この政治に携わるということが、引き続き現役でできてるんじゃないかと思っております。
10月6日に、20年後の10月6日にぜひここで皆さんと答え合わせをしたいと思います。責任を
取れるのは、20年後に責任を取れるのはこの私です。責任を持った解決策を。
反原発というのは簡単。中国の首脳部と会った写真を議員会館に飾る。これもいいでしょう。でもそれを国を守ることになりますか。皆さんの生活を守ることになりますか?
これから先の高齢化社会、激しく間に合わず、これを所得を上げていくことで対応できるのか。できるのは私、経済産業に従事してまいりました。
私、水野良彦が責任を持って、20年前に皆さんとお会いして、この場で「お前の言っておったことは全然なっとらん」ということであれば、潔く職を辞しましょう。
ただそこで責任を問われるということは自覚しながら進めます。その頃には亡くなっていますでは、責任放棄だと思います。
そうした年代であること、この若さこそ、私が今立ってきちんと皆様にご説明できるんだと思っております。こちらから20年、家族の支えを持ってこれから進んでまいります。
来るべき20年に向けて、皆様の家族では成り立ちません。皆様のお力を添えていただきながら進んでまいりますので、
この事務所開きターニングポイントは10月6日をぜひご記憶いただき、これから1年先の10年10月6日、2年先の10月6日を皆様思い出していただければと思っております。
今日は皆様お忙しい中お集まりいただきまして、本当にありがとうございました。
これからしっかり進んでまいりますので、是非この事務所開きを契機にご支援のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

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最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 

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