2024年10月24日 名古屋市中区 錦・名商連(名古屋市商店街振興組合連合会)の集会で名古屋市の商店街の要人の方々に向けて演説させていただきました。
今回は政策よりも、「人間・水野良彦」を知っていただくため、まずは自らの生い立ちから経産省での実績、政治家を志した理由をお伝えし、名古屋市内の商店街の皆様にご支援をお願いしました。地元名古屋に根差した活動を続けることを誓い、会場からは万雷の拍手で激励を戴きました。
(水野良彦演説全文 原文まま)
皆さんこんにちは。
愛知第3区 ご紹介賜りました自民党公認候補、公明党も推薦いただいていますが、公認候補の水野良彦でございます。よろしくお願いします。
(坪井様から)もったいない過分なお言葉を賜りまして、晴れて名商連組織候補として認定されたと思っております。ありがとうございます。
本当に今日は坪井さんがこんな場を作っていただいたことに、本当に心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
もちろん、今、お話しくださいましたとおり、私、こうなった暁には、皆様方に粉骨砕身、皆様方の御要望を踏まえて、中小企業庁(商業課だと思いますが)お話を伝えて参りたいと思っておりますので、皆様の忌憚のない御意見を賜ったということだと思います。
これはやっぱり受からないとでございますので、皆様には私の力不足はございます、
それをまず差し置いてということで、その中でお願いするのは大変恐縮なんですけれども、皆様のご支援を賜りたいというふうに思っています。
そこで、まず私がどんな人間なのかとか、何を考えているのか、生まれ育ちも含めて少しお時間をいただきましてお話しさせていただきたいと思います。
私、名古屋市出身でございます。前任の方は縁があったと言われていたようですが、私は千種区の出身になります。住んでいたのが覚王山でございまして、もちろんそちらの商店街もあろうかと思います。
ただ、本籍地は天白区でございまして、引っ越そうということも家族で考えていたものですから天白区(鴻巣)の方に本籍をとりました。
御縁ということで、今そういうこともございまして親戚も3区内に住んでおりまして、ご縁は浅からずあるかと思っています。そうした中で、私、生まれは昭和48年、西区の名駅の近くの栄生の近くにある名鉄病院で生まれました。切腹をして生まれ落ちたというのが私の最初のこの世に生まれた歴史でした。
家族は三男坊でございまして、上に二人、3つ上、6つ目におりまして真ん中が春日井のほうに住んでいまして年老いた母、母一人ですけれども、面倒をみているという状況でございます。三男坊でございますので、上に二人男がおります。
長男は親父の名前を一字もらって「康彦」2番目は母親から一字もらいまして「和彦」三人目が生まれて、当時は生物が生まれるまでわからなかったものですから、親父の第一声はついているものを見て、「また男か」という話でございました。
大変落胆をさせたというのが私の末代までおやじに対する感想でございました。ただ、非常にかわいがってもらって親父のおかげでここまで来たということもあり(感謝しています)
一番の問題は、父親の名前をもらい母親の名前をもらったが、三男坊は父と母以外でどの名前をもらうかがなかったので、どうするか困った母親が14日以内に出生届を出さなきゃいけないという名前の登録をする際、まったく親の名前がなくて、何でかということですけど、母親が考えあぐねて何の名前にしようかなと思ってふと見たら占いのおばさんがいて大体ご想像の通りです、そこで相談したということでございます。
皆さんに対して申し上げたいことは、字画が非常にいいと言われるものですから必ず私、運のいい名前なので、ぜひ皆さんに運のいい名前であるということを前提に皆さん活用していただければと思っております。
その後、私、東海中・高を卒業させていただきました大学を卒業したということで、一貫して親父には私には全てを肯定していただきながら育ててもらいました。かわいがってもらったのかなという気もします。
経産省に入りまして、経産省ではエネルギーとか地域経済とか、あるいは小売とか流通、そういったことをやりながら、中小企業庁企画課長というのをやらせていただきました。中小企業政策がどのように形作られたというのを、中で内部で勉強させていただいたう意味では、いい経験になったなと思っています。
中小企業庁の中で、政策をする上でどのようなことが重要なのかということを補助金にするサイドにはいなかったんですがね、法律をつくる、支援をするサイドにいまして
補助金はもともとがどう使うかとか、そういう知恵を促すことは他の部局にいてやっていたものですから、補助金の取り方というのを法律のつくり方という観点で見たということで、最近商業課は、ベテランの方が社長さんになられることが多くて、商業課向けの補助金というのはなかなか上手くつけられていないかなというところもありますので、商店街ですね、商店街をどう活性化するかというのは昔から問題意識を持って見ていたところでございます。
私が商店街を見ていて、特に力を入れたいなと思うのは、商売をするのは重要なんですけど、町のインフラであるというところだと思います。社会課題を解決するための一番のベースになるそういう機能を持っているものなんじゃないかと私は思っています。皆さんもそう感じていると思います。
人口減少社会にどう対応するか、高齢化社会にどう対応するか、子育てどう対応するか、デジタル化にどう対応するか、社会がどう課題に対応するかというところを、商店街がうまくその機能を発揮するようにするというのがいただけるんじゃないかなと、そういうベースとなるインフラとして、商店街というのはいろんなことに関して使える、色々なところにその得意な点というのを使っていけるんじゃないかなというふうに思っていますので、ぜひそういう意味で、なぜ商店街があるのでしょうという話を私は考えながら、皆さんと歩んでいきたいと思っております。
それで、私、商店街でないところもやりましたけれども、この際、政治になぜ乗り出したのかという話がございますけれども、年齢が50になりまして、私、昔の課長さんに比べると、今の課長さんはなかなか皆さんと調整をしないと政策を進められないという状況でございます。役人の限界というんでしょうか、少し自分で決めることをやりたいなというふうに思っていたところに、こういう皆様方の応援の声がありましてですね、地元に貢献したいと昔から思っていまして、私も、例えば東海高校の同窓会も毎年ここ数年は毎回のように出ておりまして、地元への貢献というか、思っていたところでございましたので、まさに渡りに船という状況で、その船に乗らせていただきました。
あいにくこのニュースでいろいろと政治資金の問題が云々という話もありました。2000万円の話もあってです。乗ろうとした船が泥船だったかもしれないです。大丈夫かなと思うんですけど、泥舟なのかどうかでなく、私が自分で泳ぎ切れるかどうかだと思います。
船がどうなろうと、私自身の力で向こう岸までたどり着く。そこの部分をしっかりと話し合ってまいりたいと思っていますし、まずそれをしない限り、皆様方の支援の声、力強さが生まれてこないと思っていますので、私自身がまず頑張ります。私自身がまず頑張っている姿を見て、私も溺れそうな素人ですからね、信じ込むのは上手くいかないかもしれませんけど、その姿を見ていただいて、私自身が一生懸命皆様の前で上に行こうとします。それをぜひ皆さんから支えていただければと思います。
向こう岸に着いた暁には、今申し上げたような商店街の皆様に対してこういうことがしたいというのは簡単には申し上げましたけれども、私の考えだけでなく皆さんの考えをいただきながら、商店会の方で次世代、次の商店主の皆さん、どう継いでいくかが重要だと思います。その辺を含めて皆さんのお声をいただいて、どのようにしていくのか、話し合ってどうしていくかというのは、若い世代とともに考えるというのも全部必要だと思っていますので、ので、ぜひそういったことも含めて、まずは向こう岸に行かせていただきたい。
着いた暁には、皆様に知恵を与えていただきたい、そのように思いながら、このあと3日ですけれども、一生懸命全速力で駆け抜けてまいりたいと思っておりますので、ぜひ皆様、お力添えを賜れればと思っています。向こう岸に着いたときに、景色を皆さんと一緒に雲外蒼天といいますけれど雲の外に出て青い空を皆さんで眺めたいと思います。
ぜひ皆さん景色を眺めたいと思います。27日に皆さんに吉報を届けられるように私、頑張ってまいりますので、ぜひまた応援をよろしくお願いします。ありがとうございました。